人の子イエス様とサタンとの対決/人の子イエス様に与えられた試みの一つ1
イエス様は、神のひとり子の御子ですが、人の子として洗礼を受けられました。
その結果、イエス様に神の霊が降ったのです。
マタイ3:16には、“イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊〔直訳「神の霊」(筆者挿入)〕が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。”(2017)と記されています。
この「神の霊」とは聖霊のことです。
ルカ3:21.22には、“21 さて、民がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマを受けられた。そして祈っておられると、天が開け、22 聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。すると、天から声がした。”(2017)と記されています。
マタイ4:1-11には次のように記されています。
“1 それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
2 そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。
3 すると、試みる者が近づいて来て言った。
「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」
4 イエスは答えられた。
「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」
5 すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、6 こう言った。
「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」
7 イエスは言われた。
「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」
8 悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、9 こう言った。
「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」
10 そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」
11 すると悪魔はイエスを離れた。そして、見よ、御使いたちが近づいて来てイエスに仕えた。”(2017)とあります。
1.2節には次のように記されています。
“1 それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。2 そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。”と。
イエス様は、神のありようを脇に置いて、人の子として、悪魔(サタン)の試みを受けたのです。
サタンの試みを受ける前に、40日間の断食がありました。
サタンはイエス様が40日間の断食をしているのを見ていました。
そして、イエス様の断食が終了したところで、サタンが誘惑してきたのです。
3節には、“すると、試みる者が近づいて来て言った。
「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」”と記されています。
イエス様が肉体を纏っていても、サタン(悪魔)は、イエス様が神の御子であることを知っていました。「あなたが神の子なら」と挑発しています。
40日間の断食で、人の子イエス様はお腹がすいていたのです。
それを見ていたサタンは、「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」とイエス様に言いました。
それに対して、イエス様は、人の子としてor人の立場において、サタンに勝利していくのです。
4節には、“イエスは答えられた。
「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」”と記されています。
余談になりますが、人祖アダムとその妻エバは、空腹ではなかったのに、サタンの誘惑に屈して堕罪したのです(創世記3章)。
イエス様は、人の身分としての自分の言葉ではなく、神のことばをもってサタンに答えたのです。
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」という御言葉は、申命記8:3の聖句の中の一部分です。
神様に従っている人の子としてのイエス様の空腹を満たされるお方は、神様であるべきでした。食物を与えるのが直接か間接かは別にして。
イエス様は山上の垂訓の中で、「31 ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。32 これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。33 まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイ6章・2017)と語られました。
イエス様は、神のことばでサタンに対応しました。
「神のことばは霊の剣です。」(エペソ6:17・ギリシア語聖書直訳)
新共同訳、聖書協会共同訳、フランシスコ会訳、岩波訳、前田訳は、直訳的に、「霊の剣」と訳していますが、新改訳、口語訳、塚本訳は、「御霊の剣」と訳しています。
また、ヘブル4:12には、「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、・・・」(2017)と記されています。
ヘブル4:12の「神のことば」の「ことば」のギリシア語原語は「レーマ」で、そのときに神が語られる即時的なものです。聖霊も神です。新約聖書に記されていることばには「ロゴス」という語もあり、これは恒常的な言葉です。尚、神が語られるレーマは多くの場合ロゴスを用いられます。
もし、イエス様がサタンの言葉に挑発されて、神の御子としての立場で、石をパンに変えてしまったとしたら、「15 私たちの大祭司〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。16 ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル4章・2017)という聖句はなかったでしょう。
また、サタンの誘惑に対して、神の御子ならば勝利できるけれども、人の身分では勝てるかどうかわからない、ということになったことでしょう。
第一ラウンドはサタンの敗北でした。
レーマについて、マタイ10:19.20に次のように記されているのを思い起こしました。
「19 彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。20 語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。」(口語訳)とあります。
20節の「父の霊」(原語直訳型)、と訳している日本語訳聖書は、口語訳の他、新共同訳、聖書協会共同訳、フランシスコ会訳、岩波訳、文語訳、前田訳、塚本訳などがあり、新改訳は、「父の御霊」と訳しています。
19.20節に「レーマ」という語は出て来ませんが、「言うべきことは、その時に授けられる」(19)とあります。即時的な神のことばですから「レーマ」です。
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
イエス様が私たちに模範を示してくださっておられますからありがとうございます。
私たちも悪しき霊からの誘惑が来ますが、イエス様に倣って勝利することができますよう助けてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。